- HOME
- 僕とワタシのイイはなし
- 優秀賞
歯科医に教わったこと
牛田 飛鳥さん
中学生の頃の話。部活動中に転んでしまい、上の前歯が一本折れてしまった。すぐに折れた歯を拾い、私はそのまま歯科へと向かった。治療は、その折れた歯を接着するというもので終わった。歯科医からは「時間が経つにつれて、くっつけた歯が少し黒ずんでくるかもしれないよ。そうしたら、また処置をするから来てね。」と説明を受けた。
中学校を卒業し、高校に上がると、歯科医の言葉通り、くっつけた前歯の接着部から上の部分が、少し黒ずんできた。笑うと少し見えてしまい、気にはなるけど、私は出来ることならあまり歯科に行きたくない。特に痛みもないし、まじまじと見られなければ目立たない。そう自分に言い聞かせ、歯科へは行かずにいた。
そして高校を卒業し、私は専門学校へ進学した。すぐにアルバイトを始めたのだが、私の気を大きく変えてしまう出来事が起こった。それは、恋だった。同じアルバイトの男性に、私は恋をした。徐々に話す機会が増えていくにつれ、私は自分の前歯が気になった。そしてある日、私は決めた。「歯医者へ行こう!」
思い立ったが吉日。すぐに歯科へと向かった。怖がりな私は、恐怖に怯えながら待合にいた。私の名が呼ばれ、診察室の椅子に座る。椅子が倒される瞬間は生きた心地がしなかった。「痛くしないでください。」二十歳目前にして、こんな言葉を吐くとは思わなかった。しかし、こんな恥ずかしい言葉を笑うことなく、歯科医は「大丈夫ですよ。」と優しい言葉をかけてくれた。
・・・本当かよ。と心の中でなんの罪もない歯科医に恨みを投げつけながら、目を閉じ、治療に臨んだ。
治療が始まってどれくらい経っただろう。もう三十分は経ったかな。まったく痛くない。
むしろ少し心地良いくらいだった。「終わりましたよ。」歯科医の優しい言葉が治療の終わりを告げる。え、もう?と驚きつつ手鏡を見ると、私の前歯は白さを取り戻していた。差し歯になったようだ。しかし不自然さはない。「痛くなかった?」と優しく問いかける歯科医に、感謝と恨めしさを抱いてしまった申し訳なさでいっぱいになった。「次回、受付で予約してね。」この言葉に憂鬱さを抱かなかったのは初めてだった。それからというもの、私の歯科への恐怖心は少しやわらいだ。
私の恋はというと、専門学校を卒業し、就職のため、実らぬままアルバイトも辞めてしまった。
あれから五年。彼氏が出来た。彼とは前歯が丸々見えるくらい、笑いあった。そして三年後、彼氏は夫となった。
夫婦は一生の付き合い。歯も一生の付き合いだ。怖がって歯科に行くことをためらっていては、その一生にかかわってしまう。歯科に行くことは、一生を大切にすること。折れた前歯と実らなかった恋は、私にそう教えてくれた。